NOAHCommunity運営|水田宗孝のプロフィール

どうも皆さんこんにちは。

物販オンラインスクール『NOAHCommunity』の運営・責任者をしております代表の水田宗孝と申します。

僕のプロフフィールを閲覧いただいてありがとうございます!

このプロフィールページでは、僕の生い立ちから経歴、なぜ物販コミュニティを運営するに至ったかについて書いています。ぜひ少しでも僕の運営するコミュニティやサービス、あるいは僕自身に興味を持っていただいた方は最後まで読んでいってください。

日々の生活はこんな感じに過ごしています。スクールの生徒とは定期的にBBQをしたり懇親会をしたりしています。

水田の経歴

  • H13年4月 コナミ株式会社入社(正社員)
  • H18年8月 ソニー・コンピュータエンタテインメント(委託契約)
  • H19年10月 株式会社カプコン(正社員)
  • H24年11月 グリー株式会社(正社員)
  • H26年2月 株式会社バンダイナムコスタジオ(正社員)
  • R2年12月 副業としていたネット販売ノウハウの事業化を志し、同社を退職
  • R3年5月 未来来来合同会社を設立し現在に至る
  • R4年11月 NPO法人 未来来来設立
  • R5年12月 未来来来合同会社を株式会社化

1976年4月生まれ。兵庫県神戸市出身。

開業歯科医の父と、裕福な家庭で育った母の次男として生まれる。母方の祖父は海運会社を創業し神戸タグボート協会を設立した経営者。自分は直系ではないため祖父の事業を継承できず、祖父のように起業して強い男になりたいという葛藤の中で育つも、普通の会社員となる。

新卒でコナミ株式会社に入社。その後、Sony(ソニー・インタラクティブエンタテインメント(旧:ソニー・コンピュータ・エンターテインメント)→ 株式会社カプコン → グリー株式会社 → 株式会社バンダイナムコスタジオ と、ゲーム業界一部上場企業を5社経験。キャリアアップを求めて転職を4回も繰り返しに在籍。その中で左遷やヘッドハンティング後のリストラ、社長賞受賞後のベースアップゼロなども経験し、自分の生涯年収や生き甲斐を自分でコントロールできていないと知り、夢であった創業する事を決意し手始めに副業を開始する。

コロナ渦の何気ない「人助け」が事業に繋がる

2020年はコロナのパンデミックに陥り、世の中が先行きが見えない不安に包まれた。飲食店を中心としたリアルドメインを生活の柱にしていた人たちは、収入の柱を失いインターネットビジネスの世界へなだれ込んだ。しかしパソコンのタイピングを使えなかった人たちは、パソコン教室に通うところから開始しないといけない状況だった。物販事業で最初は失敗を重ねるも試行錯誤を重ねてで軌道に乗り、バンダイナムコを退社。最初は身近な人たちから力になれればと惜しみなく自分の覚えた事を教えるところから始まった。噂を聞きつけた人たちからの問い合わせが絶えない状況で、なんとか出来ないかと、いてもたってもいられなくなり、2021年に未来来来(ミライクルクル)合同会社設立し、同年、オンライン物販スクール「NOAHコミュニティ」設立し、ノートパソコン1台で出来る物販として在宅した主婦や副業会社員に人気のスクールとなった。同スクールの生徒数は150名を超え実績者を多数輩出、生徒の最高実績は入会1年半で年商10億円を達成。また、スクールへの満足度は高く、業界での1年後の継続率は30%が基準と言われるところ81.2%を記録する。また副業コンサルタントとして、地上波の東京MX「パワードバイTV 元気ジャパン」に出演。今では「日本中の大人に生き甲斐と豊かな時間を創出する」をモットーに『労働しない物販』の方法をコミュニティ内にて提供。多くの受講生を育成している。

会社員時代の葛藤・超ブラック労働の日々

水田宗会社員時代2

2001年、新卒で大手ゲーム会社「コナミ株式会社」に入社しました。

当時ゲーム会社に入社をした僕でしたが、会社員として開業医の父や起業家の祖父に負けない成功を収めてやると燃えていました。

ただ、ゲームで起業というのは流石に現実的ではなかったため、「有名ゲームクリエイター」を目指すことを決め、とにかくがむしゃらに目の前の仕事に打ち込んでいました。

当時のゲーム会社はどこも超がつくほどブラック企業で、3日3晩残業は当たり前。僕が入社したのが就職氷河期だったこともあり、僕が入社してから3年間は下の社員が入って来ず、入社後3年間は下っぱとして朝から晩まで仕事漬けの毎日でした。

※現在、コナミ社はとてもホワイトな企業になっていると聞きますので時代の流れですね。

水田宗会社員時代1

朝8時から先輩の机を拭き、夜23時に会社の用意したシャトルバスに乗って帰るという生活サイクルを繰り返す日々。プロジェクトの追い込みの時には3日3晩の残業などが普通で、同期はほとんどが心を病んで辞めていきました。

そんな中でも当時の僕は「同期が全員辞めようが絶対に食らいついてやる」という謎の根性を持っており、仕事ではなんとか結果を出せるようになってきました。

しかし、まったく有名クリエイターになれるチャンスは巡って来ず、転職でキャリアアップを目指しましたが、結局はゲーム会社はどこも当時はブラック労働が当たり前だったため、同じことの繰り返しでした。

今考えてみると、ゲームクリエイターとして有名になるためには、同じ会社の中で社内政治を攻略しつつ、がんがん出世していくことが重要だったのですが、私は当時真面目に目の前の仕事をこなして残業ばかりしていました。ゲームクリエイターを目指していたはずが、いつの間にかただ会社から与えられた仕事を全力でこなすだけの社畜マシーンと化しており、「このままでは有名なゲームクリエイターには一生なれない」と感じているものの、それ以外の社会的成功を目指す方法もわからない状態で日々悶々と過ごしていました。

当時はまだ、物販などの副業もほとんどやっている人がおらず、そんな情報も皆無だったため、社会人としての成功は今目の前の仕事をがむしゃらにこなすということしか頭にありませんでした。

投資の失敗

そんな会社員時代、がむしゃらに仕事をしていたこともあり、当時担当していたプロジェクトで過去最高利益を出し、社長賞を受賞したことがありました。当時はめちゃくちゃ嬉しくて、ここから成功への街道を上がってやる!と考えていたのですが、その年度末の査定で給料が1円も上がらず、衝撃を受けました。

会社のために血反吐を吐いて頑張ったのに、自分の生活は一向に豊かになっていかないということに失望し、ここで初めて「副業」というものに興味を持ち始めます。

当時40歳だった僕は「今から新しいスキルを身につけて副業などは難しい。稼ぐなら投資だ!」と考え、2017年当時盛り上がりの絶頂を見せていた仮想通貨ブームに乗っかりました。

当時、ビットコインとリップルというコインを100万円分購入し、その直後に価格が3倍の300万円になりました。

血反吐を吐いて努力してやっとの思いでとった社長賞が1円にもならなかったにもかかわらず、自分のへそくりで買ったビットコインがものの数ヶ月で3倍になったことにさらに衝撃を受け、「俺は投資の才能があるかも!」と盛大な勘違いをしていました。

そんな矢先、皆さんもご存知のコインチェック事件が起き、仮想通貨の価値が暴落。持っていたビットコインなどの仮想通貨の価値も5分の1以下に下落してしまいました。

ただ、それでも諦めきれずに残りのお金で小型株(時価総額が数億円以下のもの)を購入。こちらも一度投資金額が3倍くらいになり、これだ!と思ったのですがこれも同じく、信用取引に目覚めてレバレッジをかけて運用していた時に、暴落になり追証が発生。貯金が完全にゼロになりました。

投資についてはかなり勉強し、本は10冊くらい読み、投資サロンにも入り、

チャートに引き方も勉強したのに・・・。

結局は軍資金が少ない中で投資はするものではないということを学びました。

まずは軍資金が少ないビジネスをやって軍資金を貯めなければと思い「せどり」という副業の存在を知りました。

物販を始めてから失敗の連続

初めての有在庫転売

投資で散々失敗を繰り返した後の2018年秋ごろ、物販を副業でスタートさせます。

店舗せどりのコンサルを行っているスクールに入り、4ヶ月で60万円くらいのコンサルに勇気を出して入りました。

100万円を融資してもらい、店舗せどりを開始。月商100万円(月利20万円)まではいったのですが、次第に在庫が捌けなくなってきて、家に在庫が溜まっていき部屋が在庫だらけになりました。

家族には儲かってもいないのに家にものがどんどん増えていくことに、当たり前ですが妻の不満が爆発し、家庭内もギクシャクし始めます。

当時はまだ働いていたので、本業が終わってから仕入れに行って、売れたものを毎日深夜2時まで梱包して発送ラベルを印刷するというなかなかハードモードな生活をしばらく送っていました。

ただ、結局自分の会社員の副業レベルでの時間確保には限界があり、また大してお金にもならないのに家に在庫が増え続ける日々で妻との関係は悪化の一途をたどりました。汗

副業で育児が疎かにならないように、2歳の娘を抱っこしながら店舗せどりに出ていました。決まって途中で寝てしまうので片手で抱っこして片手でビームを打ちながらリサーチを意地でやっていましたが途中で「これ無理あるだろw」となり帰宅する日も多かったです。

コストコで棚に同化してわかりにくいですが、商品をアスレチック代わりに遊びはじめた娘ですwもう手が付けられません。それでも愛娘はかわいかったので良い思い出ですね。しかしこの後、妻と離婚に繋がる別居がはじまりそれ以来娘とは会えなくなります。

父親は親の権利を法で守られていません。どんなにかわいくがっていても、争いが長引けば会えなくなるんですよ。当時はこの理不尽に対する憤りで気が狂いそうになりましたが、今思えば、経済力という力があっての父の存在意義だったんだと今は思います。あんなにイクメンだったのに料理も手伝ったのに・・・関係ないんですよね。女性に勝てない領域でがんばってもバッティングするだけなんだと。男は力。これが原理原則だった事を知り、僕の価値観は一気に変わりました。潤いを生む経済力。これしか自分の存在価値を示せるものはない。

それがないから家庭に潤いがなくなります。無力な自分が悪いと悟るようになりました。

(今は力を付けた事もあり、そうなると良い循環が生まれるのか、いろいろ良い事が起こり、3年ぶりに娘に再開できています。 3年ぶりに前妻と話してみると、彼女なりの辛い葛藤はあるようでした。しかし過去の僕であればこの話合いをする機会すらなかったでしょう。)

結局、男性に求められるものは「力」なんだと痛感しました。男性だけではありません。子供を守っていく上では必ず「育てていく力」が必要になります。

実は社名の「未来来来(ミライクルクル)」は娘が好きだった知育番組の曲名からつけています。いつか再開してまた子育てできる日を願いつけました。 おかげで今は、前妻の協力を得て子供との時間を楽しむ事ができるようになりました。

「メルカリ物販で副業でも稼げる!」というスクールに入るも詐欺スクールだった

ようやく店舗仕入れは会社員では無理だと判断し、メルカリで中古品の家電を仕入れてAmazonで売るという方法を教えてくれるコンサルにさらに入ったのですが、ここが決済した後ほとんど教えてくれないといういわゆる「詐欺スクール」とまでは言いませんが、ほぼ何もないスクールでした。

そのためほとんど自己流でやったのですが、メルカリって仕入れ商品は取り合いになるので、横からメルカリ仕入れの猛者にガンガン仕入れられて、自分でリサーチしているうちにリサーチしている商品がSOLDになってしまっている状態に陥りました。またしても失敗です。

この時も稼げない焦りから、土日も家族との時間を返上して仕入れに行ったりしていました。おかげで土日に連絡が取れないことで、家族との時間はほぼ皆無になり、妻との関係も悪化。その後色々あって離婚もしました。

当時は本当にただただ自分が情けなく、辛かったです。

物販ビジネスの転機

そんなこんなで、投資で何百万円も損をし、物販でもほとんどうまくいかず、家庭も失い子供にも会えなくなりました。なんだかんだで男は優しいだけではダメで「経済力という強さ」が必要という事を実感しました。

まさに崖っぷちにいた僕でしたが、そんな中でひょんなことからドロップシッピングに出逢います。

これまでの経験から「家でできて」、「いつでもできて」、「瞬間的な判断を必要とされない」というのを条件にしないとそもそも副業で稼ぐことはできないとわかっていたので、そういう条件に当てはまる物販ビジネスを探していました。そこで見つけたのが「ドロップシッピング」という方法です。

ドロップシッピングとは簡単に言えば、在庫を持たずに商品を販売するEC手法のことを言います。このドロップシッピングは他の通常の物販同様、ネットショップを開設して注文を受けますが、商品は仕入れていないのでメーカーから直接顧客へ発送されるという仕組みです。

この辺りの具体的な方法は「無在庫転売は稼げない?失敗する原因と効率的に稼ぐ方法を徹底解説!」で解説しているのでまた興味がある人は見てみてください。

ともかく、ドロップシッピングという仕組みを使ってようやく会社員の給料並みに副業で稼げるようになり、在籍していたバンダイナムコを退社することができました。そして、2021年に未来来来(ミライクルクル)合同会社設立し、今は150人以上の生徒を抱える物販コミュニティ『Noah』を運営しています。

今ではようやく事業も軌道に乗ってきて、会社員の時にはできなかった時間の使い方・場所に縛られない生活を実現できていると思います。あと全然できていなかった母親への孝行や、海外旅行に毎年3回行くというのも達成できています。最近はメンズ美容にもハマっていて、40代半ばに差し掛かりながら、イケ親父を目指すのが日課になっています。

もちろんまだまだもっと僕自身成長していかないといけないと感じていますし、課題は山ほどあるのですが、とはいえ当初失敗しかしていなかった時から比べてば本当に充実した生活が送れるようになりました。

また、多くのコミュニティ受講生が僕と同じく(というより僕以上に)成果を出しまくってくれているので、おかげで一緒に旅行に行ったり楽しく過ごさせてもらっています。

この年まで、ずっと自分の成功を目指して努力してきましたが、結局一番楽しいのは自分がうまく行ったことではなくて、自分をきっかけに人生が好転した人と一緒に過ごす時間だったりもします。

だからこそ、今後僕と関わる人やもちろんコミュニティの受講生にもゆとりとやりがいのある仕事をしてほしいと思っています。

僕はこれからも「日本中の大人に生き甲斐と豊かな時間を創出」できるように頑張っていきます。

最近取り組んでいるのは、転売ではないクリーンな物販を初心者に普及する事です。正規仕入れの物販は難しく初心者の90%以上が挫折します。そのハードルを下げた9割の人が挫折しない、寄り添ったコーチングの中国輸入の正規仕入れを教え、より安心に子育てをしながら、素敵な時間をつくっていただければと思います。

NPO法人の設立。これからの社会貢献活動が次の夢

創業当初は、自分が稼ぐ事に必死でした。しかしながらコロナ渦も明け社会は急激に戻りつつあります。僕も少し気持ちに余裕が出来きた事で、コロナ渦の人助けから発展したビジネスが自分のDNAになった感じがします。物販では就労支援施設を利用させてもらう事が多かったので、なんでこんなに賃金が安いのか?そしてスキルにならない単純労働だけで障害を持つ方の社会復帰に本当に役立つのだろうかと感じる事があり、これでは障害者の方が食い物にされてるだけではないか。と思うようになりました。また当物販スクールはオンラインで行う仕事を軸にしているものですから、外に働きに出にくいシングルマザーの方へお仕事をクラウドソーシングを利用してお仕事依頼をしていたりしてきた経緯もあり、僕自身が離婚経験者で実の娘はシングルマザーの保護下で育っている事もあり、NPO設立をして何かシンママさんや障碍者の方への支援イベントもやっていけたらと考えております。そういった「人助けからビジネスへの発展」をDNAにしてきた会社ですので、次の夢もやはり「人助け」「社会貢献」を軸に考えながら大きくしていけたらというのが僕の今の夢となります。

LINEでノウハウを無料配信!

僕は色々な副業に挑戦をされている方々と比べても、投資や物販をはじめかなり副業で苦労してきた部類に入る人間だと自負しています。

なので、そういった失敗談や、逆に今のトレンドだとどういった物販が本当にうまくいきやすいかについては【NOAH公式LINE】で無料で配信しています。

・中国輸入メルカリ物販のシンプルな始め方
・受講生がどうやって未経験から実績を出してきたか
・有在庫物販との組み合わせで利益を最大化する方法

などについて、無料でコンテンツ配信を行なっています。

もちろん、一番はコミュニティに入って一緒にやっていけたら嬉しいと思っていますが、そこまでいかなくても僕との接点で少しても有益な情報を活かしてもらえたらそれでも嬉しいと思っています。

また、LINEで直接コミュニケーションも取れるようになっているので、質問も無料でしていただけます!

この機会にドロップシッピングについて情報収集してみたいとか、水田に直接色々聞いてみたいでも良いので、まずはお気軽に友達追加して情報を受け取ってみてください!

【NOAH公式LINE】でお話しできることを楽しみにしています。